2005年12月10日 (土) 22:27 | 編集
邦題以外は完璧な映画。私は戦争映画見るのが趣味なんでそれなりに色々と見てきたけどこれは素晴らしい完成度だった。
まずこの映画、ヒトラーを中心に据えた映画だと思ってた人(私も)は少し面食らったかもしれない。これは映画のせいではなくて日本の配給会社のせいです。邦題が「ヒトラー 〜」であるのに対して原題は「没落・滅亡」という意味で、だいぶズレてしまいます。もう少し考えて欲しいな。宣伝だからある程度はしかたないけど。
ヒトラーの描き方に関しては、それ程驚くことではないです。ヒトラーも人の子であったなんて当たり前のことで、彼が独裁者にまで台頭できた理由を無視して、「怪物」や「悪魔」「殺人鬼」という言葉だけで片付ける人こそ歴史の過ちを繰り返すタイプではないでしょうか。この映画の本当の見所はヒトラー云々より、一つの国が崩壊していく様子を克明に描いている点だと思います。国が崩壊するということは、物理的なものだけではなく、その国の人々の価値観や精神といったものまで崩壊させてしまう。国を蹂躙されるということを知らないアメリカ人には絶対に描けない映画と言えるでしょう。絶望的な状況に置かれれば置かれるほど冷静な判断力を失っていく人々の姿はまさに戦争そのものです。この映画では国が崩壊するまでの悲劇を描いていますが、実際のドイツの悲劇はまだまだ終わりません。劇中でもユンゲが脱出するシーンで「ソ連兵とは絶対に目をあわせるな」と言われますが、これはレイプされるから気をつけろという意味です。占領下のドイツはソ連兵によるレイプ・略奪の地獄絵図となりました。当然ながらソ連は戦勝国なのでこれらの犯罪は一切追及されませんでした。
話がズレましたが、この映画は国の崩壊というものがどういうものか、教えてくれる珍しい映画です。できればヒトラー台頭を描いた次回作を作って欲しいです。アメリカの作る映画とは本当に格が違う。今までの映画に出てくるドイツ兵はみんな精神異常者か猟奇殺人者の集団で、アメリカの戦意高揚映画でしかないです。ドイツ人を人間として描いただけで非難されるなか、この監督はよく頑張ったと思います。てかまだ遠慮してたのでは。この後にくるソ連の鬼畜っぷりまで描いてもよかったと思う。ヒトラーなんてスターリン、毛沢東、ポル・ポトの赤野郎に比べれば本当に優しいもんです。とりあえずこの監督の勇気に満点を。

2005年12月07日 (水) 00:45 | 編集
今頃になって「SAW」を見ました。
どっと疲れた・・・。たったの一分も緊張感が削がれることなく見れました。なんだろうこの終わったあとの脱力感。
先を読んでるようで、作り手の中で踊らされている。ラストの展開は全く予想がつかなかったです。ストーリーは後々考えるとツッコミ所があるけど、そんなのどうでもよくなるぐらい優れた映画です。こういう映画は当分見たくないですね。グロテスクな描写はかなりあるんですが、直接的な描写より、想像を掻き立てるタイプなんでもっとタチが悪いです。ジャンルはホラーサスペンスかな。ホラーといってもお化けとかじゃなくて、ちゃんと理屈の通った猟奇もんです。
こういうジャンルが好きな人は迷わず見てください。

2005年12月02日 (金) 16:43 | 編集
「多くのことを思いきってやる人間が、やつらの間では正しいということになる。より多くのものに唾を吐きかけられるものが、やつらの間では立法者になる。」
今回は何となく「ソーニャ」繋がりで、強引ですがベルセルクとドストエフスキーの「罪と罰」について語ろうと思いやす。素人が浅薄な知識でドストエフスキーを語るのはあれなんですが、大目に見てください。
未読の方はご注意。普通に内容に踏み込んでいくので。まぁ、私が内容に踏み込んだことで面白さが半減することもないと思うけど念のために。
「罪と罰」は、貧しさゆえに学業を放棄し、自堕落な生活を送っているラスコーリニコフという青年の話です。彼は鋭敏な頭脳を持っていますが、若者特有の自分は「選ばれた人間」に成れるという思いあがりを抱いており、その理想と現状との間に大きな溝を感じ焦燥感にかられています。
そして彼は自堕落な生活の中である理論を作り出します。彼の理論はまず世の中の人間を「凡人」と「非凡人」に別けることから始まります。「凡人」は服従するのが義務であり法を守らねば成らないと、しかし「非凡人」は自分の思想の実行、それを要求する場合に限り法を踏み越える権利があると定義します。この場合の思想とは全人類の救いとなるものです。つまりナポレオンやマホメットのような権力者が大量虐殺を行っても、結果的にそれが人類を理想の方向へと導いたのであれば犯罪者として咎められない。「ひとつの微細な罪悪は百の善行に償われる」という理論を考え出したわけです。ならば自分はナポレオンのような非凡人に分類されるのだから、(法を)踏み越える権利が、いや踏み越えることができるのだと思うようになります。
そして、この絶望的状況を打破するために醜い高利貸の老婆を殺して金を奪い有意義に使うことは結果的に人類の救済になると自分を納得させ計画を実行に移します。しかし偶然にも現場に居合わせた老婆の妹を口封じに殺してしまい、罪の意識に悩まされていくという話です。
「罪と罰」ではこの「踏み越える」という言葉に重大な意味が隠されているそうです。これに関しては詳しくは江川卓著の「謎とき『罪と罰』」
を参照してください。ベルセルクのテーマもこの一線を踏み越えるか留まるかが重要な点だと思います。グリフィスが夢を手に入れるために自らを納得させる下りは、ラスコーリニコフが自らを英雄と重ね犯罪肯定論を作り出す下りと似てるように感じます。もちろんベルセルクでいう一線と「罪と罰」でいう一線は違いますが、基本的には人として行ってはいけないという点では一緒です。二人とも「仲間のため」、「人類のため」などの口実を持ちますが、実際は自分のためだけに一線を踏み越してしまいました。
「お立ちなさい!いますぐ、すぐに行って、十字路に立つんです、あなたが汚した大地に接吻なさい!」
その後、事件の謎を追っている刑事との心理戦や家族とのやり取りなど、沢山の個性的な登場人物達とのドラマを繰り広げていきます。物語が後半に差し掛かるとラスコーリニコフはソーニャと呼ばれる聖なる娼婦と出会います。ソーニャの献身的な愛はラスコーリニコフに自首を決意させます。
ラスコーリニコフと同じく「一線を踏み越えた」グリフィスにソーニャという名の少女を持ってきたのは中々興味深いことです。まだベルセルクは連載中なので、どのような展開になるかは予想がつきませんが、もしかしたら今後ソーニャがグリフィスの救い(断罪?)に大きく関わってくるかもしれません。二人とも罪(ベルセルクのソーニャの罪はグリフィスへの加担?)を負っているという点も共通です。 ちろんベルセルクでいう救いはキリスト愛を持ってきた「罪と罰」とは全く違ったものになるでしょう。ただ、どの章にも自立あるいは断罪するキャラクターが存在するベルセルクは構造的に似ているなと思いました。ちなみに「罪と罰」のソーニャとベルセルクのソーニャは性格的にはかなり正反対です。
以下、ついでなので「罪と罰」の話を続けます。後はベルセルクとは関係ないので、あしからず。
しかし、ラスコーリニコフは全然反省しません。(笑)あくまで自分の理論は正しく、自分はただの「凡人」なのに「非凡人」の真似事をして人を殺したことを悔やんでいるのです。ですから法を犯した「罪」を、服役という法的な「罰」で(罪を)贖うことは、彼の魂を救済することにはならないのです。しかし、この後とんでもないどんでん返しが待っています。
この悶々と続くストーリーが最後に一気に爽快なものへと変わります。もちろん物語の後半から出てくるキリスト教的な愛は、「神」を持たない我々日本人には本質的に理解できないです。しかし最後に与えられる爽快感は誰もが感じることのできるものだと思います。
結局「ソーニャ」繋がりだけかな^_^;頑張って絡めようと思ったけど「罪と罰」の紹介文になってしまいました。ちなみに「ソーニャ」「ソーネチカ」は愛称で正式名は、「ソフィア」といい「神の叡智」という含意があります。
「罪と罰」を始めて読む人へのアドバイス
私の下手くそな文章で少しでも興味を持っていただけたら幸いです。ここで私にできるアドバイスを少し。
まず、海外の本を読む上で重要になるのは訳者です。現在、「罪と罰」は岩波文庫と新潮文庫から出ていたと思います。私は最初に新潮文庫の米川正夫訳で読みました。これはかなり古い版なので多少読みづらかったです。ただ今の訳者は違うと思います。二回目は岩波文庫の江川卓の訳で読みましたが、これは読みやすかった。ただ岩波は高いうえに「上・中・下」に別れるので微妙です。新潮は上下で単価も安いです。
登場人物はメモるべし!
はっきりいってロシア人の名前はかなり分かりづらいです。そのくせ出てくる人間が多く、さらに愛称(ファミリーで呼ぶ様な)まででてきます。新しい版の岩波では最初に登場人物紹介がありますが、古い版はないと思うのでメモるのが無難です。しおりにもなるし。
左、岩波文庫、右、新潮文庫。
今回は何となく「ソーニャ」繋がりで、強引ですがベルセルクとドストエフスキーの「罪と罰」について語ろうと思いやす。素人が浅薄な知識でドストエフスキーを語るのはあれなんですが、大目に見てください。
未読の方はご注意。普通に内容に踏み込んでいくので。まぁ、私が内容に踏み込んだことで面白さが半減することもないと思うけど念のために。
「罪と罰」は、貧しさゆえに学業を放棄し、自堕落な生活を送っているラスコーリニコフという青年の話です。彼は鋭敏な頭脳を持っていますが、若者特有の自分は「選ばれた人間」に成れるという思いあがりを抱いており、その理想と現状との間に大きな溝を感じ焦燥感にかられています。
そして彼は自堕落な生活の中である理論を作り出します。彼の理論はまず世の中の人間を「凡人」と「非凡人」に別けることから始まります。「凡人」は服従するのが義務であり法を守らねば成らないと、しかし「非凡人」は自分の思想の実行、それを要求する場合に限り法を踏み越える権利があると定義します。この場合の思想とは全人類の救いとなるものです。つまりナポレオンやマホメットのような権力者が大量虐殺を行っても、結果的にそれが人類を理想の方向へと導いたのであれば犯罪者として咎められない。「ひとつの微細な罪悪は百の善行に償われる」という理論を考え出したわけです。ならば自分はナポレオンのような非凡人に分類されるのだから、(法を)踏み越える権利が、いや踏み越えることができるのだと思うようになります。
そして、この絶望的状況を打破するために醜い高利貸の老婆を殺して金を奪い有意義に使うことは結果的に人類の救済になると自分を納得させ計画を実行に移します。しかし偶然にも現場に居合わせた老婆の妹を口封じに殺してしまい、罪の意識に悩まされていくという話です。
「罪と罰」ではこの「踏み越える」という言葉に重大な意味が隠されているそうです。これに関しては詳しくは江川卓著の「謎とき『罪と罰』」
「お立ちなさい!いますぐ、すぐに行って、十字路に立つんです、あなたが汚した大地に接吻なさい!」
その後、事件の謎を追っている刑事との心理戦や家族とのやり取りなど、沢山の個性的な登場人物達とのドラマを繰り広げていきます。物語が後半に差し掛かるとラスコーリニコフはソーニャと呼ばれる聖なる娼婦と出会います。ソーニャの献身的な愛はラスコーリニコフに自首を決意させます。
ラスコーリニコフと同じく「一線を踏み越えた」グリフィスにソーニャという名の少女を持ってきたのは中々興味深いことです。まだベルセルクは連載中なので、どのような展開になるかは予想がつきませんが、もしかしたら今後ソーニャがグリフィスの救い(断罪?)に大きく関わってくるかもしれません。二人とも罪(ベルセルクのソーニャの罪はグリフィスへの加担?)を負っているという点も共通です。 ちろんベルセルクでいう救いはキリスト愛を持ってきた「罪と罰」とは全く違ったものになるでしょう。ただ、どの章にも自立あるいは断罪するキャラクターが存在するベルセルクは構造的に似ているなと思いました。ちなみに「罪と罰」のソーニャとベルセルクのソーニャは性格的にはかなり正反対です。
以下、ついでなので「罪と罰」の話を続けます。後はベルセルクとは関係ないので、あしからず。
しかし、ラスコーリニコフは全然反省しません。(笑)あくまで自分の理論は正しく、自分はただの「凡人」なのに「非凡人」の真似事をして人を殺したことを悔やんでいるのです。ですから法を犯した「罪」を、服役という法的な「罰」で(罪を)贖うことは、彼の魂を救済することにはならないのです。しかし、この後とんでもないどんでん返しが待っています。
この悶々と続くストーリーが最後に一気に爽快なものへと変わります。もちろん物語の後半から出てくるキリスト教的な愛は、「神」を持たない我々日本人には本質的に理解できないです。しかし最後に与えられる爽快感は誰もが感じることのできるものだと思います。
結局「ソーニャ」繋がりだけかな^_^;頑張って絡めようと思ったけど「罪と罰」の紹介文になってしまいました。ちなみに「ソーニャ」「ソーネチカ」は愛称で正式名は、「ソフィア」といい「神の叡智」という含意があります。
「罪と罰」を始めて読む人へのアドバイス
私の下手くそな文章で少しでも興味を持っていただけたら幸いです。ここで私にできるアドバイスを少し。
まず、海外の本を読む上で重要になるのは訳者です。現在、「罪と罰」は岩波文庫と新潮文庫から出ていたと思います。私は最初に新潮文庫の米川正夫訳で読みました。これはかなり古い版なので多少読みづらかったです。ただ今の訳者は違うと思います。二回目は岩波文庫の江川卓の訳で読みましたが、これは読みやすかった。ただ岩波は高いうえに「上・中・下」に別れるので微妙です。新潮は上下で単価も安いです。
登場人物はメモるべし!
はっきりいってロシア人の名前はかなり分かりづらいです。そのくせ出てくる人間が多く、さらに愛称(ファミリーで呼ぶ様な)まででてきます。新しい版の岩波では最初に登場人物紹介がありますが、古い版はないと思うのでメモるのが無難です。しおりにもなるし。
左、岩波文庫、右、新潮文庫。
2005年11月30日 (水) 20:34 | 編集
ロックをただのウルサイだけの音楽と思っている人、ギターの音なんか分かんないという人。まずは下のアルバムの一曲目と二曲目を試聴して欲しい。(無料なのでご安心を。ただしReal Player必須です)
どうです?驚きました?(20年前の音源なので音質が少し悪いかもしれませんが)
この曲を聴くまで、私の曲を選ぶ基準に「演奏力」というものはまるでなかったんですが、これを聴いて価値観が大分変わりましたね。
この曲はイングヴェイ・マルムスティーンというギタリスト率いるバンドが演奏しています。彼がロック界に与えた衝撃はあまりにも大きい。異常なまでの速弾きとクラシック音楽の影響を受けたメロディはロック界(特にギタリスト)に多大な影響を与え、無数のフォロワーを産み出しました。いわゆるネオ・クラシカルというジャンルの始まりです。ネオ・クラシカルというジャンルは時代の流れと共に廃れていきましたが、彼の奏法は多くのギタリストに受け継がれています。
今なお変わらないスタイルは確かにマンネリ化といえるかもしれない、でもそこには音楽家としての信念を感じます。
これはインスト・ナンバーばかりを集めたものです。割と新しいので音質も良かったと思います。純粋にイングヴェイのギターだけを聴きたい人にはオススメです。
今ではすっかり性格と一緒に体まで丸くなったイングヴェイですが、この頃は非常にカッコイイですね。映像と名曲を同時に堪能できる優れもんです。ヴォーカルが沢山いるのには訳があります。インギー様は俺様至上主義なんで、自分より目立ったり、気に入らなかったりすると即首を刎ねます(笑)まぁ、馴れ合いで音楽やるよりはマシでしょうが。
どうです?驚きました?(20年前の音源なので音質が少し悪いかもしれませんが)
この曲を聴くまで、私の曲を選ぶ基準に「演奏力」というものはまるでなかったんですが、これを聴いて価値観が大分変わりましたね。
この曲はイングヴェイ・マルムスティーンというギタリスト率いるバンドが演奏しています。彼がロック界に与えた衝撃はあまりにも大きい。異常なまでの速弾きとクラシック音楽の影響を受けたメロディはロック界(特にギタリスト)に多大な影響を与え、無数のフォロワーを産み出しました。いわゆるネオ・クラシカルというジャンルの始まりです。ネオ・クラシカルというジャンルは時代の流れと共に廃れていきましたが、彼の奏法は多くのギタリストに受け継がれています。
今なお変わらないスタイルは確かにマンネリ化といえるかもしれない、でもそこには音楽家としての信念を感じます。
これはインスト・ナンバーばかりを集めたものです。割と新しいので音質も良かったと思います。純粋にイングヴェイのギターだけを聴きたい人にはオススメです。
今ではすっかり性格と一緒に体まで丸くなったイングヴェイですが、この頃は非常にカッコイイですね。映像と名曲を同時に堪能できる優れもんです。ヴォーカルが沢山いるのには訳があります。インギー様は俺様至上主義なんで、自分より目立ったり、気に入らなかったりすると即首を刎ねます(笑)まぁ、馴れ合いで音楽やるよりはマシでしょうが。
2005年11月29日 (火) 23:30 | 編集
今日は私が一番好きなバンド「ホワイトスネイク」の紹介です。(以下「白蛇」)
かつて小規模ながらもファンサイトを作ったことがあるぐらい好きです。(殆ど自己満だったけど)そして私の人生で後悔したベスト5に03年の国際フォーラムで行われた白蛇のライブを逃したことが挙げられます。あの時は一緒に行く人の仕事の都合で当日チケットしか狙えなかったんだよなぁ。今思えば一人でも行けばよかった(泣
勘のいい人なら気づいたと思いますが白蛇は「白人のペニス」という意味です(汗 バンドという形式をとっていますが実際にはヴォーカルのデイヴィッド・カヴァーデールのワンマンバンドです。(以下「デビカバ」)このデビカバという人は伝説のロックバンド、ディープ・パープルの第三期ヴォーカルを務めた人でした。元々はデビカバのルーツであるブルーズ系の要素を持った渋いロックバンドでしたが、80年代後半からバリバリのメタル路線に変わり、アメリカで大成功を収めました。
これがアメリカで大成功を収める切っ掛けとなるアルバム「サーペンス・アルバス(白蛇の紋章)」。ロック特集で名盤BEST100とかあれば必ずといって選ばれてたと思う。このアルバムの聴きどころはジョン・サイクスのギターにつきます。曲も聴きやすいから入門にもいいです。
「サーペンス・アルバス(白蛇の紋章)」はHR/HMのアルバムとしては名作です。しかしデビカバの味はソウルフルな声にあります。
大人のロックを楽しみたい(別に大人でなくても結構です)方は断然こちらをオススメします。Don't Break My Heart AgainやFool For Your Lovingなどの名曲も押さえられたものになってオススメです。
かつて小規模ながらもファンサイトを作ったことがあるぐらい好きです。(殆ど自己満だったけど)そして私の人生で後悔したベスト5に03年の国際フォーラムで行われた白蛇のライブを逃したことが挙げられます。あの時は一緒に行く人の仕事の都合で当日チケットしか狙えなかったんだよなぁ。今思えば一人でも行けばよかった(泣
勘のいい人なら気づいたと思いますが白蛇は「白人のペニス」という意味です(汗 バンドという形式をとっていますが実際にはヴォーカルのデイヴィッド・カヴァーデールのワンマンバンドです。(以下「デビカバ」)このデビカバという人は伝説のロックバンド、ディープ・パープルの第三期ヴォーカルを務めた人でした。元々はデビカバのルーツであるブルーズ系の要素を持った渋いロックバンドでしたが、80年代後半からバリバリのメタル路線に変わり、アメリカで大成功を収めました。
これがアメリカで大成功を収める切っ掛けとなるアルバム「サーペンス・アルバス(白蛇の紋章)」。ロック特集で名盤BEST100とかあれば必ずといって選ばれてたと思う。このアルバムの聴きどころはジョン・サイクスのギターにつきます。曲も聴きやすいから入門にもいいです。
「サーペンス・アルバス(白蛇の紋章)」はHR/HMのアルバムとしては名作です。しかしデビカバの味はソウルフルな声にあります。
大人のロックを楽しみたい(別に大人でなくても結構です)方は断然こちらをオススメします。Don't Break My Heart AgainやFool For Your Lovingなどの名曲も押さえられたものになってオススメです。


